◆館長と道場史◆


昭和49年に修空館空手道場創設。
ブルース・リー「燃えよドラゴン」の影響で近隣からたくさんの若者が集まった。その後、専門道場が出来るまで場所を何度か変えた。徐々に大人の空手から少年少女の空手へと移行して現在にいたる。

家業で帰りが遅く悩み、一時道場内の空気もダレ始めたことがある。昭和58年、「空手は自分の人生」 と心に決め、徐々に現在の仕事『氣の整体院』(骨格矯正、氣功整体の治療院経営)に切替えて、空手道を「人生の柱」に据えた。

昭和55年に始めた『太極拳』の指導員となり、昭和59年、地元桃生町において管内初の太極拳教室(生徒数約50人)を開催した。昭和59年には、『中国氣功』の先生に巡り会い、昭和61年より太極拳とともに普及を始める。治療院の仕事と両立し、太極拳・氣功の講師として県内各地を廻る。(週に3〜4度、年平均約200日に及ぶ)

昭和60年、宮城県治療師会事務局長の激務から「敗血症」を患い、公立深谷病院に長期入院、生死を彷徨う。同年事務局長辞職。以後は、入院時に指導体制を引き締めてくれた高橋謙次郎会長夫妻のご恩に報いるべく空手道に集中。次年度より15年連続、団体戦11度を含む41回の全国制覇を達成している。

平成5年に、中学生の親たちから「勉強しなくて」と相談され、塾経営に乗り出す。豊里大橋のたもと(桃生町寺崎) に『アルファ進学塾』を開設。家庭教師主流の時代、他学習塾が衰退していくなかで、有能な塾長と信頼度抜群の講師に恵まれ、当塾には安定した人数が集まっている。現在まで10年連続、52人が第一志望高校全員合格を達成!

      ☆「世界を担う人づくり」
      ☆「苦しみの中で学んだことはその人の生涯を助ける力となる」
      ☆「教えることは学ぶことである」
      ☆テーマは『自律から自立へ』

などの修業に位置づけ、21世紀、未来を担う子供たちに、より活氣ある稽古を提供したいと思っている。指導者も日々研鑽を積み、努力している。

◆会員第一号の熱血漢 遠藤敏明先生(豊里道場を担当)
◆誠意、実直、信頼度抜群の副館長 佐々木康記先生(米山道場責任者)
◆大企業幹部で礼儀正しい 猪狩徳博先生(多賀城支部師範)河南道場
◆にこにこ、子供たちのアイドル 高橋有希先生(河南道場担当、)
◆子供たちの良き目標 小野寺兼士指導部長(河南道場と本部道場担当)
◆我が子3人と共に再出発 今野英樹前指導部長(今野道場と本部道場担当)

他にも素晴らしい指導者多数。感謝!



宮城県連続地震のこと

第二道場の完成!

平成15年度、恐怖の宮城県連続大地震(震度6強)が何度も(主に)河南町の子供たちを襲う!・・7月の地震では、それまで河南道場として使用していた『隣保館』が危険建物と診断されて解体されることとなった。緊急で7月27日(日)引き上げ作業に協力してくれた人たち⇒俊輔父母、紗千恵父母、鈴木父母、奥野父母、庵原父、山下母、小関母、内海母。

◆稽古場所がなくなり困り果てていたとき、河南町の親たちが明日を担う少年少女のためにと立ち上がる。そして、地域の縫製工場社長の善意により、工場の一つを河南・鹿又地域の専門道場として借りることが決定した。大工、土建が入った後、8月30日、親子総出(50人)で新道場の周りの整備、中の改装を一日がかりで行った。31日、第二道場として初の稽古(合同稽古)を行った後、各道場会長の挨拶、そして高学年の子供たちから感想を一人一人言う中では、親たちと子供たちの間から・・すすり泣き!がもれ聞こえてきた。感動の瞬間・・・。困難を、みんなのチームワーク、強い意志で克服した感動のうれし涙だったと思う。。


大阪府 交野青山支部

武田正弘先生より地震のお見舞い



9月1日、空手衣持参で、ホームページとJKA全国合宿を通じての友人(人生の大先輩)である大阪、武田正弘師範の道場を訪問した。何と!『歓迎!あごひげ先生!』の横断幕があり大歓迎を受けました。
子供たちへの指導のあと、最後に、多額の『お見舞い金』をいただくことに。。。どうやら、神戸大震災のこともあってか、我が事のように、武田師範始めとした親たち、子供たちが見舞金をカンパし、渡してくれたのでした。感謝!感激!
(2月28日後援会総会で報告)