武士道10−1
武士道における忠義 1

忠義だけは他の徳目と異なり、まさしく武士道の目的となった徳目で、封建社会を特徴づける唯一のものだといってよい。武士道の忠義は「主君に真心から仕える」との意味で、現代人にとっては理解しがたし、個人主義を基盤とする外国人には一層理解できないものと思われる。

自分の美学として「義」(正義)のために死ぬ、というのはまだわかる。それは個人的な意志が働いているからだ。また、愛する家族を守るために死ぬ、というのもわかる。それは「仁」の極致だからだ。だが「主君のため」あるいは「国家のため」に死ねるかと問われたとき、現在の私たちは即座に答えることは出来ない。明治期には「忠君愛国」の精神教育を受けている、それに対して私たちは「主権在民」の古人教育を受け、個人の命は己自身のために存在すると教わっている。いかなる国家でも国家が先にあって個人が存在するのではなく、個人の集大成したものが国家である。天皇制のもとで中央集権国家であった明治時代の「忠義心」の行き過ぎがのちの戦争を招き“美しき日本人の精神”であった武士道までゆがめてしまった。本来の「忠」の意味はおのれの誠を尽くすということで、それは「天」に対してのものだったからである。したがって本当の武士道精神はただ闇雲に死ぬことなど美化してはいない。
忠義は封建社会の秩序安定のために、武士の最高の徳目とされたが、その本質は徳というものでなく、「政治理念」であったにすぎない。国家や権力者が「忠義」なる言葉を使うときほど、危険なものはない。本当の忠義とは、愛する者へのおのれの自発的な忠義心であり、他からの強制や制度とかで遂行されるものではない。そして忠義を発するときは、あくまで忠義の相手が己の義に値するときのみ行われるべきである。

いま、なぜ「武士道」か  岬龍一郎 致知出版社