武士道
武士の意味

武士という言葉自体は、既に奈良時代に“武官”“武人”の意味で使われていた。しかし「武士道:新渡戸稲造」で述べる武士道の主体としての武士が台頭するのは平安時代中期の10世紀以降のことである。その頃から合戦を“職業”とする“つわもの(兵)や官人貴族の仕えて警固をあずかる”“さぶらい(侍)”そして、武力をもって公的に奉仕する“もののふ(武者)”が現われ、彼らを総じて“武士(さむらい)”と呼ぶようになったのである。武士は大いなる名誉と大いなる特権と、それらに伴う大いなる責任を持つ“特権階級”であった。大切なことは彼らが、“大いなる特権”と同時に“大いなる責任”を持っていたことである。これが“身分にともなう義務”つまり“noblesse oblige”というものである。武士は特権階級であるが故に“行動の共通基準”が必要であったし、そのことが武士道の確立につながった。(特権だけを主張し、責任や義務を果たすことを知らない、戦後の民主主義下の日本人とは違う)

武士道というと言葉からすぐに連想されるのが「葉隠」であり、「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」である。そして、この言葉によって、現代日本人の多くが、武士道を“死に急ぎの哲学”と誤解したのである。武士道と“死”が密接に関係するものであることはいうまでもない。しかし武士が死に急いでは失格なのである。武士の第一の義務は、その国(藩、領土)を守り、主君に忠節を尽くすことだから、武士は最後の最後まで生き延びなければならないのである。死に急いではその義務を果たせない。「武士道とは死ぬことと見つけたり」は「武士たる者、悟りを開き、いつ死んでも悔いることのないよう、立派に生きろ」という、“立派な生”のあり方についてのメッセージだと考えるべきである。新渡戸のいうところの「死を親しむ」は「死を恐れない」と解すべきで、「賤しむべき生」は武士にあるまじき生のことであろう。

士農工商

「武教小学序」山鹿素行の中での士(さむらい)の本分について
農・工・商は天下の三つの宝である。士が農・工・商の働きもないのに、これら三民の長としていられるのは、みずからの身を修め心を正しくし、すすんでは国を治め天下を平和に保つからであ士の職分については主人を得て奉公の忠をつくし、同僚に交わって信を厚くし、独りをつつしんで義をもっぱらとするにある。

義:打算や損得のない、人間の行うべき正しい道

農・工・商はその職業に忙しくて、いつもその道をつくすというわけにはいかない。士はこれらの業をさしおいて、もっぱらこの道につとめ、農・工・商の三民が、成すべき事を少しでも乱したならば、それをすみやかに罰し、それによって天下の道が正しく行われる備えをなすものである。

だから士には、文武の徳知がなければならない、そして三民はおのずから士を師とするようになり、士を尊び、その教えに従い、ものごとの順序を知ることが出来るようになる。こうしてはじめて、士の道は成り立ち、自分では働かないでも衣食住が足りていることにも、心の負い目を感じなくてすむ

武士は庶民の範である。

支配階級である武士は、三民の模範となるべく、正義を貫き、私欲に走らず、自分の言葉、約束は命懸けで守り、不正や名誉のためには死をもってあがなうことが義務づけられたのである。そのために求められる武士の徳目は「忠誠・犠牲・信義・廉恥・礼儀・潔白・質素・倹約・尚武・名誉・情愛」ということになる(今日、その“士”に相当するのは、国民の税金で生活する政治家、公務員である。政治家・公務員は“庶民の範”でなければならず、彼らにも武士に求められた徳目が求められなければならない)

いま「武士道」を読む  志村史夫 丸善ライブラリー