武士道5−1
武士道における義 1
武士道といった場合、その中心となる徳目は「義の精神」である。義とは、打算や損得のない人間としての正しい道。すなわち正義のことである。「義」から派生した言葉に大義、道義、節義、忠義、仁義、信義、恩義、律義などがあり、さらには義理、義務、義憤、義侠、義士、義民、義挙などがある。武士は、この「義」を武士道精神の中心に据え、これを踏み外した者は卑怯者として糾弾の対象となった。義を行うことは、口で言うほど簡単なことではない。義のなかには「正しい行い」と同時に「打算や損得を離れて」という意味が含まれているので、人間の根源的なエネルギーとされる「欲望」を、かなり制御しなければ成り立たないからである。
現代人の多くが行動判断の基準としている合理的精神は、突き詰めれば「どっちが得か」といった相対的なものである。それに対して武士道における義は、普遍的な「良心の掟」に基づく絶対的価値観を基本としている。いわば不合理の精神である。したがって義を遂行するためには、よほどの自立心を養わなければならない

良  心

「仁、義、礼、智、信」の5常の徳、と「忠」「孝」を合わせた7つの徳、つまり「人にはやさしくあれ」「正直であれ」「嘘をつくな」「約束を守れ」「弱い者をいじめるな」「卑怯なことをするな」「誠意を尽くせ」「親孝行をしろ」といったことで、これらの思いを「良心」という。(良心はないのか、良心の呵責に耐えない)武士道の基本は「フェア・プレイ」の精神と新渡戸は言っているが、その根源はこの「義を貫く」ということである。武士は、たとえ戦いに勝ったとしても、不正な行為をして勝った者は賞賛されなかった。上杉謙信の戦いの中で甲斐の武田信玄と戦った「川中島の合戦」におき、海のない山間部を領土とする武田方に、遠州・駿河を領土とする北条氏からの塩の供給が絶たれた。これを聞いた謙信は、敵である信玄の窮状を哀れみ、一通の書状を送った。「私が貴公(信玄)と戦うのは弓矢であって、米や塩で戦っているのではない。これより先、塩が必要ならば我が国から供給しよう」謙信にとっては、いかに敵とはいえ窮状に陥ったときは助けるのが武士であり、弱みにつけ込んで攻めるのは卑怯と考えたのである。

上杉謙信や、関ヶ原合戦の武将たちが、美談として長年伝えられたということは、逆に言えば、そうしたサムライが少なかったことの裏返しとも考えられる。武士道が「義」を最高の支柱に置いたということは、言い換えれば、そうした至難の「義」を追求する事で、そこに精神の「美学」を求めたからだ。生死をかけた戦いに望むとき、すべての武士が上杉謙信のように忠実に、この「義」(フェア・プレイの精神)を守った、というつもりはない。生きるか死ぬかという場面では、たとえ卑怯者といわれようとも勝ちたいと思うのが人情であり、いつの世にあっても、本能は美学よりも強く、理想は現実の前に打ち砕かれるのが世の常である。だからこそ、武士道はそのことを十分知りながら、なおかつ汚辱に満ちたこの世で、その現実を超越する“美しき理想”を我が指針として厳しく求めたのである。さらに支配階級の義務として、あえて最も難しい「義」という「人として正しい行い」を徳目の中心におき、その行為を自律的に求めることで、民の模範となるよう、その理想に一歩でも近づく修行を積んだのである。「正しく生きよう」「美しく生きよう」と自らを律する心がなければ、人は堕落するものである。

いま、なぜ「武士道」か  岬龍一郎 致知出版社