武士道5−2
武士道における義 2

■武士に求められる「徳」は多くあるが、その中でも最も厳格なものは「義」である。現代国語辞典が述べる一般的な意味は「道理、条理、人間の行うべきすじ道」である。林子平は「義」を勇気ある「決断力」と定義とし、「死すべき場合に死し、討つべき場合に討つ」決断力を「義」とした。「義を見てせざるは勇なきなり」(人の道として当然行うべき事と知りながら、これを実行しないのは、勇気がないというものである)
:『論語』


「義(節義)は人体の骨格であり、基盤である。人は、いくら才能や学問があっても義がなければ駄目である。サムライは多少不調法であっても義があればよい」
:真木和泉


■「武士たるもの辱めを受けし時、直ちに間髪を入れずに刀は抜かなければならない。刀を抜くこと自体が死につながるが、武士たるものは、この時、刀を抜かなくてはならない」
:『甲陽軍鑑』


■「掟を破ることは、主君にそむくことであり、一族を串刺しにされることは家族的人倫を破壊することであるが、それを冒してでもなお自分が臆病者でないことを実証しようとするのは、世間が自分を臆病者とみるからではなくて、自分がおのれ自身を臆病者と感じたくないからである。世間の目から見れば、掟に従い堪忍する方が、常識を持った良い侍ということになるであろう。しかし自分はその堪忍において、命を惜しむ意地汚さや卑しさを感ずる。自分はその命より尊いということを、おのれ自身の前にはっきりと示したいのである。これはおのれとおのれの一家との破壊を意味するものであるから、利益のための所行でないことは明らかであろう。それはただ自敬の念の満足のみを目指している。」
:和辻哲朗


「人の命は、いつか終わる。どれほど惜しんでも必ず終わる。・・・・・終わってこの世に残るものは何か。金か、物か。そのようなものは、時の流れの中にはかなく消え失せよう。百年、人が記憶し、語り継ぐは、何をこころざし、惜しき命を費やして遂げんとしたか、その行跡しかないのだ」
「四十七人の刺客」池宮彰一郎

私個人としても「自分の命より尊いものがあること」に同感であり、常にこのような精神を保ちたい、と思っている。
いま「武士道」を読む  志村史夫 丸善ライブラリー