武士道7−2
武士道における礼 2

「礼は寛容にして慈悲あり、礼は妬(ねた)まず、礼は誇らず、驕(たかぶ)らず、非礼を行わず、己の利を求めず、憤(いきどお)らず、人の悪を思わず、敬意を持ったふるまいも意味し、礼儀は敬意を表す作法である。

その敬意の根底には、正当なる事物に対する尊敬の気持ちがなければならない。さもなければ、それは「貧弱なる徳」となり、また「慇懃無礼(うわべは丁寧なようで、実は尊大なこと)」となる。
「礼道の要は心を練るにあり。礼を持って端座すれば凶刃剣を取りて向かうとも害を加うること能わず」:小笠原流宗家
(あらゆる礼法の要は心を練ることである。心を練ることにより、人間の身体のすべての部分および機能に完全なる秩序が生まれる
礼は型に通じるものであるから、必然的に外形にとらわれがちになる。すなわち、礼を尊ぶ社会においては、虚礼(誠意のないうわべだけの礼儀)の横行も否めない。虚礼が礼でないのは、単なる音響が音楽でないのと同じ事である。しかしまともな耳を持たない者には、単なる音響と音楽の区別がつかないであろう。
日本のような礼を尊ぶ社会の特徴、というより危険性は、目に見えるもの、形のある者は評価されやすいが、目に見えないもの、形のないものはは評価されにくいところにあり、それらを評価するには本物の見識が要求されるからである。
表層や権威・権力に左右されない本物の見識と勇気が必要とされる。
衣食足りて礼節を知る…(生活に余裕が出てはじめて礼節に心をくだくことが出来る)

今の日本をいい当てる最適の言葉は「衣食足りて礼節を失う」であろう。
福沢諭吉も「文明論之概略」の中で「文明とは人の身を安楽にして心を高尚にすることを云うなり、衣食を豊かにして人品を貴くする事を云うなり」「文明とは人の安楽と品位との進歩を云うなり。又この人の安楽と品位とを得せしむるものは人の智徳なるが故に、文明とは結局、人の知徳の進歩と云ってもよいであろう」
つまり衣食足りて礼節を知らなければ文明とはいえないと言っているのである。
しかし「衣食足りた」戦後の日本人は、物質的な豊かさに溺れ、礼節を失い、栄辱のなんたるかを忘れてしまった。

いま「武士道」を読む  志村史夫 丸善ライブラリー