武士道8−2
武士道における誠 2

ともすると表層的なものになりがちな礼儀を「虚礼」から救うのが信実と誠実、つまり誠である。

虚言は「他人をあざむく言葉」、遁辞は「責任逃れの言葉」であり、そのような言葉を吐くのは卑怯であり、少なくとも武士に許されることではない。したがって「武士の一言」は真実を保証するものであり、「武士に二言はない」のである。信実(veracity)の誘因(源)には経済的、政治的そして哲学的なものがある。

アイルランドの哲学者レッキー

アングロサクソン民族が持っているといわれる“高き商業道徳(信実)”がある。彼らが正直、信実なのは、それが「引き合う」からだという。つまり、金という報酬を前提とした信実であり、その誘因は明確に経済的なものである。しかし、武士道における信実の誘因はひとえに哲学的、思想的なものである。

武士は食わねど高楊枝

武士はたとえ経済的に貧しくても、損得で動いてはいけないのである。行動基準を商人のように経済に置いてはいけないのである。権力を持つものに私有財産、富を持つことを許せば国が“衰亡”することは、数々の歴史的事実や昨今の政治家、官僚たちのスキャンダルを見れば明らかであろう。内村鑑三は「代表的日本人」の中で「西郷ほど生活上の欲望のなかった人は、他にいないように思われます」、「西郷は、身の回りのことに無関心なら、財産にも無関心でありました」と書いている。

その西郷自身がが山岡鉄舟を指して「命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそ最も扱いにくい人である。だが、このような人こそ、人生の困難を共にすることのできる人物である。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である」と言っている。「本来無一物」を終生の信条とした山岡鉄舟は維新後、宮内庁に奉職を命ぜられ、華族に列せられるのだが、その時「食って寝て働きもせぬごほうびに蚊族(華族)となりてまたも血を吸う」という歌を口ずさんだという。また、かなりの俸給を得るようになっても、その金はみな困った人たちに融通してしまい、自分は死ぬまで清貧で通したようである。

いま「武士道」を読む  志村史夫 丸善ライブラリー