子育て
大人のまねが出来ない
現代っ子

「鬼ごっこ」は「鬼ごと」が変化したもので、「ごと」は古くは「こと」といった。「こと」は「〜のようだ」どころか、「同じ」という意味だ。つまり「鬼ごっこ」は「鬼と同じ」、「ままごとは「まま(まんま)と同じこと」をする遊びである。「兵隊さんごっこ」「戦争ごっこ」「学校ごっこ」など、それぞれまねをして遊ぶことである。
こうした「ごっこ遊び」は、それぞれ大人たちのやっていることをまねする遊びだから、知らず知らずのうちに大人たちのやり方を身につけることになる。
同じ仲間のなかにいる年上者がしぜんに指導役になる。彼が鬼からの逃げ方、戦争の仕方をおしえ、彼女が主婦役をつとめて年少のものは来客や子どもになって、少しずつ「ままごと」の家族が作られる。まねごとを通していままでの子どもは少しずつ大人の習慣や振る舞いを身につけてきた。その過程が、もう無いのである。
むかしはいろりを囲んで家族が集まり、子どもはそこでいろいろなことを学んだ。家族が集まらなくてもおじいさん、おばあさんが昔話をしてくれたりして、彼らを中心に子どもの輪が出来た。いろりもなくなり、核家族となった現代の家庭のリビングルームの主役は、テレビである。画面が低俗な歌や踊りやお笑いを、一方的におしつけてくる。テレビと向かい合っていても「対話」はない。
勝負という「対話」をはげしく交わしながら自分を訓練していく、メンコ、たこあげ、ベーゴマ・・・「いろはがるた」から自然にこどもの脳裏に刻み込む道徳・・・子どもから大人への通過点を遊びから学ばせた「ごっこ遊び」・・・
むかしは遊びから、自然に人間教育がなされていたことがよくわかります。今は、ほとんど無くなってしまった。

「遊びの寺子屋」は、だからすばらしい!
明るく、素直で、正直で、がんばりやの人間創りが出来る人生の道場だと思います。

「日本人の忘れ物」中西進 (株)ウエッジ より