子供の教育
慈しむ母親

子どもから見て、昔の母親は慈母に映りました。朝早くから井戸端で子どもの衣類を洗濯し、夜遅くまで針仕事をしている母親の姿はどの子どもの脳裏にもこびりついていたのです。その前提として、貧しい生活からくる厳しさがありました。貧しさに支えられ、骨を粉にし、心を砕いて、朝早くから子どもたちのために働きました。それには悲壮な面があり、そうせざるを得なかったのです。しかし、子ども達は、その姿に感激したのです。今のように家庭生活が合理化し、家庭の経済が以前よりもはるかに豊かになって来て楽になったときに、うっかりしているとテレビばかり見ている母親の姿になってきます。そこには怠情な姿があるのみです。現在の母親は、自己を充実させるためにどのようにしたらよいのでしょうか?愛情から出発した母性に対する考え方も、愛情がはっきりと客観的に測定できない今日、どの母親にどのくらいの愛情があるかを言うことは出来ません。それは、母親自身の心の内にありますから、絶えず問いただしていなければならないでしょう。子どもの気持ちになってみて、それを受容できるような母親になるように、努力することから始めなければならないのです。

そのためには、自分の中にある利己的な心を追求し、それを整理しながら取り除くことです。そうして慈しみのある母親になってくれることを、子どもは期待しているのです。そのような母親は、子どもに「…をさせる」ということはしません。母親の考えた教育を子どもに押しつけようとしないでしょう。自分の思い通りに子どもを勉強させようとすれば、また、自分の思い通りの姿に子どもを作り上げようとすれば、鬼母になってしまいます。それは、子ども自身で発達する力があり、自発的に自分の行動を考え出す力のあるのが子どもであるからです。それを援助するのが、お母さんの役割であり、思い通りに子どもを引きずり回すことではないのです。

慈母とはどういう母親か…・もう一度考えてみて下さい。

けんかを忘れた子どもたち:平井信義:PHP文庫