子供の教育
人間は生まれつき
悪を持っている

親が子供に教えるべきことは、人間の持つそうした邪悪とも言うべき本性、とくに自分のうちに発見される邪悪さから目をそらすことなく、むしろ、それに挑む形で向かい合っていき、それを自分で抑えつけることで、そうした本性を大きなスプリングボードとして使えということです。たとえば宮本武蔵は、当初、他に対して強い功名心や敵愾心から剣の努力を重ねたが、やがてそのわざに通達することによって、そうした自分の本性を抑え、淘汰し、剣聖としての境地を開くことができました。芸術にまで高められた剣も、しょせんは並の人間が持つ、世では邪悪とされている功名心、あるいは狡猾さ、敵愾心からしか生まれ得なかったことを教えるべきです。

時代を超えて変わらぬ価値がある

親は、子供にが将来あさはかな流行に振り回される人間、そしてまた、社会の機構によって自分を変節せざるを得ない弱い人間にならないように、子供のころ、この現代、時代おくれとなりあるいは滑稽と笑われはしても、過去の時代に、それが明らかに美徳であったひとつの習慣を、子供の前であえて見せる必要があるのではないでしょうか?たとえば国民の祝日に一家そろっての国旗の掲揚の儀式でもいい。あるいは、坂道では、子供たちのおじいちゃん、おばあちゃんを親みずから背中に背負う、あるいはその背中を後ろから押すという習慣でもいい。あるいは食事のまえに、目に見えざるものに、感謝の祈りを捧げる習慣でもいい。自分が欲しないことを他人にしない私は子供のころ、近くの友人を、手に巻きつけた輪ゴムの一端を放すことで痛い目にあわせて泣かせたことがある。私には、泣いた相手の子がひどく大げさに思えて不本意だったが、それを見ていた母親が家で私をとがめ、母親は同じしぐさで私の手の甲を痛い目にあわせて、その時感じた痛みが大げさであるかどうか、自分で考え直せと言いました。以来私は、思っていた以上に痛みの激しいそのいたずらを他人に対してしなくなりました。確かに自分で味わったことのない苦痛は、苦痛に感じられないということを、我々は体験しない限り実感として味わうことは出来ません。そして、そうしたいくつかの体験によって、初めて相手に対する思いやりが生まれてくることを、親は子供に教えなくてはならないのです。

「いま 魂の教育 著者」:石原慎太郎 発行:株光文社 より