昔の遊び
自然の遊び場

昔は、家庭にいるときや学校でまじめを装っても、学校がひけると、近所の友達と徒党をなして、冒険や探検に出かけましたし、畑やその他の場所を荒らし回ることが出来ました。それにより、家庭や学校で受けた抑圧から解放することが出来たのです。自然の遊び場を奪われた今の子ども達は、家庭と学校の間を往復するだけですから、母親と教師から圧力を受けっぱなしで、抑圧から開放される場所がないのです。その為に、積極的に遊ぶことが出来ずに、戸外の遊びを知らないで成長しています。

私どもは、毎夏六泊七日で、高原の合宿生活を一年生から五年生の子ども達としていました。この合宿は、子ども達の自発性を尊重しますから、ほとんど規則もないし日課も立てていません。しかも何をしても叱ることがなく、叱らない訓練を受けた大人が引率しますから、伸び伸びと生活が出来るはずです。十数年前までは、木登りが盛んでした。木登りもてっぺん近くまで登ろうとしましたし、私どもはそれを推奨しました。ところが、近頃は、木登りをする子どもが少なくなってしまい、私が手本を示しても、「ばかばかしい」という顔つきで見ているだけです。

林の中に探検に出かけるのですが、以前の子どもはどんどん奥へ入っていき、それを追うのに大変でしたが、近頃の子どもはぞろぞろと私の後をくっついてくるだけで、ちょっとした草むらもいやがるのですから、探検になりません。自然に恵まれ、思い切って草地をかけ回る事が出来る場所であるのに、部屋の中にいて、手先の作業をしたがります。戸外の遊びに誘うのがひと仕事になってきました。何人かの子どもは、「テレビがなくてつまらない」などといいます。
草地で裸足になるのをいやがる子どももいます。気持ちが悪いというのです。大地を裸足で踏みしめた経験がないからです。靴下をはいて、なかなかぬごうとしない子どももいます。

文明が、自然と対応する童心を失わせてしまっていることを、しみじみと感じる昨今です。恐らく、日曜日といえば、マイカーでカッコよく遊園地などで遊んでくるだけを教えた結果でしょう。そのような子どもは、山へ連れて行き崖を登らせると、どのように登ったらよいかがわからずに、ただ四つん這いになっているだけですから、ずるずると滑り落ちるだけです。安全教育に必要な冒険の訓練が出来ていないのです。

今の子ども達、とくに都会の子ども達には、いろいろな機会を見つけて、自然に親しませることを計画しなければなりません。そうした自然の中で、自然を素材にして遊び場を作り出す力こそ、積極性を養い、創造性の芽生えを養うのに最も適していると思います。そのことに早く気づいて、両親も対策を立てる必要があると思います。

けんかを忘れた子どもたち:平井信義:PHP文庫