日本人観

欧米人から見た日本人(さむらい)

いま「武士道」を読む  志村史夫 丸善ライブラリー


幕末期、アメリカ・ニューブランズウィックで

多くの日本人学生を見てきたグリフィスは「当時米国に留学している日本の学生は、いずれも立派な武士器質に富んだ青年ばかりで、人格高潔、克く好んで学問に精進し、将来有為の人物たらんとしていた。私は彼らに心からの敬意を払った。……・・常に大日本国をして列国の間に伍して大ならしめんと志しつつ、……知識を探求し学問の蘊奥(奥義)を究めんがため、没頭して、あたかも火焔のうちにある燃料のごとくであった」と語っていた。

万延元年(1860年)、日米修好通商条約の批准交換のために江戸幕府によって派遣された外国奉行・新見正興ら80余名がニューヨークのブロードウェイを馬車で行進した様子をアメリカの詩人・ホイットマンが「ブロードウェイの華麗な行列」と題する詩に書いている。

「西の海を越えて遙か日本から渡米した、頬が日焼けし、刀を二本たばさんだ礼儀正しい使節たち、無蓋の馬車に身をゆだね、無帽のまま、動ずることなく、きょうマンハッタン街路をゆく……・」

ホイットマンは、この中で日本人を“梵天の一族”とも呼んでいる。
“梵天”とは“欲界を離れた天上界”のことである。

トロイアの遺跡の発掘で知られるシェリーマンが、
幕末の1865年、約一ヶ月間、日本を訪れ旅行記を遺している。

入国の際の荷物検査を免除してもらうために、
税管理二人に一分(2.5フラン)ずつ出したところ、
彼らはそのような“心づけ”の受け取りを断固拒んだのである。

これに対し、シェリーマンは、「日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである。おかげで私は荷物を開けなければならかったが、彼らは言いがかりをつけるどころか、ほんの上辺だけの検査で満足してくれた。一言で言えば、たいへん好意的で親切な対応だった」と書いてある。

また自分たちを警護してくれる役人たちの精勤ぶりに驚かされ、
彼らに対する最大の侮辱は、
たとえ感謝の気持ちでも、現金を送ることであり、
また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら
『切腹』を選ぶのである」とも記している。