人間とは
平 氣


木鶏もっけい)

   1.空威張りの最中------------------まだまだである
   2.敵の声とか姿に興奮する-----------まだまだである

  3.敵を見下す-----------------------もうちょっと
   4.どんな敵にも無心で木で作った鶏のよう---これこそ
「木鶏」

いかなる場合でも、自然体で、平常心で、
さらっと立っている姿、坐っている姿がなければならない。

双葉山が連勝を阻まれた時に電報で船中から安岡正篤へ
「ワレイマダモクケイニオヨバズ」と送った。



六 然

自ら処すること超然(ちょうぜん)
:周りをはるかに見下ろして、悠々としている様子

人に処すること藹然(あいぜん) 
:行為に満ちること

有事には斬然(ざんぜん)
:態度が動ずることなく、きっぱりすること

無事には澄然(ちょうぜん)
 :澄みきっていること

得意には澹然(たんぜん)
:あっさりしていること

失意には泰然(たいぜん)
:ゆったりしていること


「莫妄想まくもうそう)

北条時宗が強大な元軍とどう戦えばよいかと悩みに悩んで無学祖元に参禅した。祖元は「幕妄想」と書いて時宗に示した。「うまくやろうとか、どうしてら勝てるとか、負けたらどうしようかとか、そのような雑念を起こすときではない。今やるべきことに専心せよ」「勝つとか負けるとか、うまいところを見せようとか、失敗しては困るとか、損か得かなどにとらわれて、自己の集中心をなくすようなことではいけない。そういう相対的欲望にとらわれることが妄想である」

中国唐時代の禅僧に無業禅師(760〜821)の言葉である。

無業和尚は、誰が何を尋ねても、
ただ「莫妄想」(妄想すること莫(なか)れ!)
と答えたといわれている。

妄想というのは、あれこれ考えても分からないことを、あれこれ考えるたり、すんでしまってどうにもならないことを、くよくよ考えることをいう。

一方は、未来のことであり、もう一方は過去のことである。過去のことは、どうしたって改変できないのである。それなのに、あのとき、ああすればよかったのに・・・・・・と考えて、じくじくと悩む。無業和尚に言わせると、それが妄想であり、そんな妄想はするなかれである。

未来のことは誰にも分からない。いまの会社を辞めて転職したほうが幸福になれるか、それともつづけたほうがいいか。いくら熟慮し、予測し、計算したって、絶対に分からない。にもかかわらず、人間は未来を「妄想」し、未来に怯えて悩む。それは馬鹿馬鹿しいことであり、無業和尚はやめろと、忠告しているのだ。

では、妄想しない(莫妄想)ためにはどうすればいいか・・・?過去のことについては、忘れること。氣にしないこと。あきらめること。未来のことに関しては、どうせ未来はなるようにしかならないと、一種の高をくくること。

そして、現在なすべきことをしっかりとすること